雷狼竜から『戻れない』   ラニャーニャ村のカク  1  そのハンターは、集会浴場に通う者達のあいだでは「変わりもの」でとおっていた。 モンスターに対する知識は豊富で、モンスターリストに載っている情報はほぼ頭に叩き込んであるという。 もちろん、モンスターからの攻撃を適切にかわして反撃にうつるなど、腕も確かだ。  そんな彼のどこが変わっているのかというと、まず大型モンスターを狩猟する際には必ず捕獲して、決して息の根を止めないというところである。それどころか一人でクエストに赴く場合は、捕獲したモンスターを治療――彼には珍しくモンスターの医学に関する知識もあった――してからギルドに引き渡すというのだ。さらには部位破壊も滅多にしなかった。  彼が変わっているのはそれだけではない。 端的に言うと彼は牙竜種モンスターのジンオウガを崇めていると言って良いほど「敬愛」し、同時に「愛好」していたのだった。  彼が遠くの平和な村からユクモ村に移り住みハンター稼業を始めたのも、ユクモ村付近に姿を見せるジンオウガを、その目で見たかったからだ。彼の自室の本棚はジンオウガについての資料でぎっしり、クエストに同行したハンターによれば「移動中はずっとジンオウガのことばかり喋っていた」そうだ。 今日も彼は集会浴場に顔を出すなり、ジンオウガの狩猟クエストを受注して一人で渓流へと向かって行った。  数日後、ユクモ村の加工屋で取引をする彼のほほは、心なしか緩んでいるように見えた。どうやら防具を生産する素材が揃ったらしい。  出来上がったのは剣士用のジンオウSシリーズ、上質なジンオウガの素材をふんだんに用いた装備だった。緑掛かった青の鱗をベースに、黄色い甲殻を用いた、重厚な肩や腕などのパーツがまるで本物のジンオウガのようなたくましいシルエットを作り出す。頭部はジンオウガのものと同じ角が目立つ、獣の顔のようなマスクになっていた。勇ましく、そして美しかった。  生産した防具を早速装備した彼は、自分の姿にしばし見とれ、そしてこの装備を作るまでの顛末を思い起こした。    「モンスターの装備を長い間着過ぎると、モンスターから『戻れなくなる』らしい」  しばらく前に、集会浴場のハンターたちのあいだでこんな噂が流れ出した。『戻れなくなる』、というのはモンスターそのものに変身してしまうだとか、上等な装備ほどモンスターに成りやすいとかそんな噂も同時に流れたが、大抵のハンターは加工屋のプロモーションか何かだろうと思って本気にはしなかった。  しかし一部のハンターはこの噂を実際に確かめようとした。ハンターたちはモンスターたちのことを同じ自然の一員として尊敬している者がほとんどだったが、中には「尊敬」を通り越してモンスターに「恋」してしまう者もいた。その中にはその恋が高じて「人間やめてモンスターになりたい」という考えを持つ者もおり、彼もそのひとりで「いつかジンオウガになりたい」と思っていたのだ。  それからというものの、彼は四六時中ジンオウS装備を着続けた。  クエスト前には温泉に浸かって体力とスタミナを上昇させるのがここの集会浴場のハンターたちの通例だったが、彼は防具を着続けたかったため、タオル一丁になって風呂に入ることはせず、ドリンクと秘薬だけで狩りのコンディションを整えていた。また、防具を装備しないことが受注条件に含まれているクエストに誘われたとしても、全て断っていた。  彼の狩猟仲間たちはそんな彼のことを流石に不審に思ったが、彼の言動が変わっているのはいつものことなのでそんなに気には留めなかった。  2  ジンオウS装備を生産してから1ヶ月は経っただろうか。  いつものように一人で渓流へとクエストに向かった彼。ベースキャンプで狩りの支度をしていると、ふと腕のあたりに違和感が生じている事に気づいた。それだけではなく、妙に身体が熱く感じられ、それと同時になぜだか力が湧き上がる様な感覚も覚えた。  まさか、ついにおれも「戻れない」ところまで来たのだろうか。  ベッドの近くで待機していたタル配便のニャン次郎に適当なアイテムを預けて配達に行かせ、誰にも見られなくなったことを確認すると、彼はおもむろに、期待を込めて右腕の防具を左手で外してみた。  その下にあったのは、見慣れた人間の手ではなく、黄色い鱗に包まれた獣の前足のような手だった。まず目に入るのは黒光りする大きな鋭い爪で、五本の指のうち三本の指先からはまっすぐに、薬指と小指からも横に長い爪が飛び出ていた。腕の方も緑掛かった青の鱗で覆われており、人間の腕よりも遥かに筋肉質な印象を与える。物をつかむには明らかに適さない形状に変わってしまった右腕を器用に使い、左腕の防具も外したが、やはりその下は右腕と同じような状況になっていた。  ふいに、首筋のあたりに激痛が走ったような気がした。  頭の防具を取り外してみると、以前の彼の顔から変わり果てた姿が明らかになる。 首筋の中央はやはり腕のものと同じ青い鱗で覆われており、それを挟むように両側には黄土色の蓄電殻と呼ばれる、鋭い甲殻ができあがっていた。さらにその外側は白い帯電毛が生えそろっている。  首自体も太く逞しく変化しており、人間のものとは違い前の方へと伸びていた。その先の顔も人間の顔ではなかった。  やや黒ずんだ鼻は前方向へと伸び、マズルを形成している。顔全体も青い鱗に包まれており、鋭くなった瞳から鼻にかけては青白い稲妻のような模様が現れた。耳は竜人族のそれのように尖っている。鋭い牙を有する口を支える顎は黄色い鱗で染まっており、同じ色の二対の大きな角は、まるで狼の耳のような印象を与えた。完全にジンオウガの顔になっていた。  しかし、あの兜の中にこのジンオウガの大きな顔が収まっていたとは思えない。  彼がそう考え、ジンオウガの喉をグルゥと鳴らす間にも、身体には変化が起きていた。  胴装備の下の肋骨のあたりから、ミシミシと嫌な音が奏でられる。胸板は明らかに大きく膨張し、やがて頑丈な胴装備をいともたやすく破いて屈強な胴体が眼下に晒された。ちょうど胸の中央のあたりから、それと首から背中まで続いてる二列の黄色の甲殻の間からは、やはり帯電毛が生えていた。その蓄電殻も複数が段をなしており、全体的にトゲトゲとした印象を受けるものになっていた。  突然、二本の足で立っていた彼の身体はガクンと崩れるように倒れ、四つん這いの格好になる。もはや二本足では立てない身体になってしまったのだろう。腰から下の装備も彼の身体から勢い良くはじけ飛び、とうとう一糸拭わぬ姿になってしまう。背中から続くように、今までなかったものが生えていた。蓄電殻と帯電毛に覆われた、太く強靭な尻尾だった。両足もやはり人間のそれとは明らかに構造が違う、力強く大地を踏みしめる獣の脚へと変わり果てた。手と同じように黄色く染まった指から鋭い爪が生え、太ももにかけては屈強で太い、青い鱗に包まれたものに変わっていた。    そこにいたのは「彼」ではなく、一頭のジンオウガだった。  導かれるように、大きくなってしまった身体にとっては狭苦しいベースキャンプを離れ、渓流の大地を四本の足で練り歩き始めたジンオウガ。夜の冷えた風が帯電毛をなでる。人間には感じられない心地よさだった。  ジンオウガがドカッ、ドカッ、と足音を立てながら夜の渓流をゆうゆうと闊歩していくと、近くにいたガーグァたちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出し、ジャギィの群れは人間に浴びせる罵倒に近い吠え方とは明らかに違う、こちらを畏怖するかのような声を上げた。  月夜をバックに咆哮してみる。  ッウォーーーン!!  聞いたものを思わず震え上がらせるような咆哮が渓流中に響き渡ると同時に、彼にはこみ上げる思いがあった。  ああ、おれはジンオウガ様になれたんだ……………。  3  そのジンオウガは、渓流で狩猟を行う者のあいだからは「変わりもの」と称されていた。  人間にはめったに危害を加えず、ハンターたちが戦いを挑んできても軽くいなしてしまい、まるで狩猟にならなかったという。  また、とあるハンター見習いのアイルーからの目撃情報によると、水辺で水面に自分の姿を映してはみとれるような仕草をとっていたという。  そのジンオウガが目撃され始めた少し前、渓流のクエストにひとり赴いたとあるハンターが消息不明になるという事件が発生したが、そのハンターを知る仲間の間ではこのように噂されていた。  あのジンオウガこそ、ジンオウガを愛していた「彼」自身なのかもしれない、と… 雷狼竜から『戻れない』 完